江古田ミツバチ・プロジェクトさんの10周年イベント「ハチはこんなに身近な存在~蜂の子を食べながら振り返ろう~」(2019年11月16日於武蔵大学)にお伺いをして、都心部の養蜂や食べるだけではないハチミツの歴史も学べる貴重はお時間でした。

第2部・ 蜂の歴史についての講義を三島先生から、聴講させて頂いたことのについての感想を書かせて頂きました。
食べるという観点ではない、日本史から蜂が生活に根付き貴重な資源として扱われていたことを年表と共に聴講できました。
ときめく資料とともに、蜂の絵巻物語りを楽しく学べる時間です。
蜜蜂の最初の記載は、『日本書記』皇極2年(643) になります。
『延喜式』(10世紀初記)
諸国により、蜜の献上が記される。
食べる以外というと、お薬や楽器のお手入れ等あり多種多様な形であります。
正倉院には、蜜蝋があり輸入された当初は145キロあり今現在は85.5キロ位残っているそうです。時を経てもこれだけの蜜蠟が、保存されているのに胸の高鳴りがやみませんでした。
蜜蝋について
みつろう、Beeswax、Cera alba)はミツバチ(働きバチ)の巣を構成する蝋を精製したもの。蝋は働きバチの蝋分泌腺から分泌され、当初は透明であるが、巣を構成し、巣が使用されるにつれて花粉、プロポリス、幼虫の繭、さらには排泄物などが付着していく。養蜂において蜜蝋以外のものを基礎として巣を構築させた場合、それらが蜜蝋に混入する可能性もある。精製の方法には太陽熱を利用する陽熱法と、加熱圧搾法とがあり、効率の点では加熱圧搾法のほうが優れている。
Wikipediaより参照
古代の方達の偉大さを感じますよね。
楽器のリードの接着剤や地鎮祭にも供物として使われていたのは、知りませんでした。
暮らしの中に、色々な形で根付いている蜂はとても身近な存在なのがわかりますよね。
お香も練り香として、雅な時代を今も尚体感できるのはトキメキますよね。
蜂を日本史から解りやすく、楽しめる聴講でした。温故知新、蜂の食べるいがいをもっと知りたい東風はるかでした。